カテゴリ:→ MOVIE( 50 )

 

映画のブログをはじめました

すっかり放置ブログになってしまったこことは別に、映画のブログを始めました。
新作映画のレビューではなく、脳に焼きつけを起こすような映画体験を与えてくれた作品をピックアップして、どのように映画を観ていったか、を語っていきたいと思います。
ブログにしては1つの記事が長文になりそうなので、お時間ある時に、ゆっくりお付き合いくださいませ。

まずは、うつがぶり返して会社を休んでいた間、頭のリハビリにと書いた、「シャイニング」についての持論です。

『脳に焼きつく映画』
http://tzk-web.com/garland/
[PR]

  by tzucca | 2009-08-01 22:58 | → MOVIE

映画「それでもボクはやってない」は必見ですよ

a0028078_4354651.jpg誰でも被害者・加害者に成りうる痴漢冤罪(えんざい)をモチーフに、これまでの映画やTVで描かれた裁判とは全く違う、日本の刑事裁判の現実を映画という手段で問う、話題作!

「Shall we ダンス?」の周防正之監督11年ぶりの新作ということでも話題の作品ですが、これまでの周防監督作品のようなコミカル・タッチでハート・ウォーミングな内容と打って変わった、シリアスで社会派の映画。なのに、重苦しくなく最後まで緊張感をもって観られちゃったのは、周防スタイルともいうべき緻密なリサーチから描き出された知らない世界のディテイルのトリビア的驚きと、自分だったら?という置き換えが可能な状況の描き方がうまいから。

マジ、この現実は相当コワイですよ。裁判に持ち込んだら、99.9%有罪になってしまう日本の現状。無実であっても無罪になる保証はない。
とはいっても、僕ら一般人の意識もそうだよね。新聞やニュースで「逮捕された」と報道されれば「法律違反をした」「犯人がつかまった」と素直に思ってしまうし、とりあえず疑わしいヤツは捕まえておけ、火のないところに煙は立たないだろ、って思いがちだから。
職業として人を裁く人たちも、全能の神でなく人間なんだもんなぁ。

というわけで、この映画は観ておくべきですよ。
2009年に日本でも裁判員制度がはじまることだし。裁判傍聴オタクでなくても、犯罪に巻き込まれたり犯したりしていなくても、裁判にかかわることがあるかもしれないのだから。

ーーーーーーーーー

2007年に入ってやたら目にした、プロモーション活動でインタビューを受ける周防監督の姿。そのパワーから、この作品を作るための熱意や目的意識が伝わってくるんですよね。監督を依頼されて、職人的に映画を作り上げました、というのとは決定的に違う作家性。

話は飛びますが、前日に制作費30億円をかけた日本映画「蒼き狼 地果て海尽きるまで」の試写を観て、映画的センスの古さ、説明的なセリフや画面、凡庸な演出に「……」となってしまったのです。NHK大河ドラマの総集編のようでね。でもお年な方々はすごく満足していたようで、分かりやすさと映画としての質は別物なのかねぇ、と思っていたのですよ。
そして観た「それでもボクはやってない」は、昨日観たのって何だったの?と思うくらい骨太な映画らしい映画で、才能のある人が使命感をもって作ると、こんなにも映画は生きてくるのか!と素直に拍手でした。訴える内容の明確さは勿論ですが、文章ならともかく「画」になりにくい部分がすごく多いにもかかわらず、その画づくりや見せ方がうまいんです。人物やセリフがともかくリアルなんです。
見終わった後で、上映時間が2時間23分もあったことにびっくり。画面に目が釘付けになっていて、感覚的に1時間40分くらいかと思っていたから。

ーーーーーーーーー

「それボク」に注目したのは、その内容と11年ぶりの周防監督作品だったこともありますが(「ファンシィダンス」以降全部劇場で観てますから)、主演が加瀬亮だったから。
2001年にリリースされたDVDマガジン『Grasshoppa!』収録「FROG RIVER」第1話で、全裸DJプレイしてたのを観てから、密かに応援してたんですよ。基本的に気弱で情けない感じながら、役柄によって姿をガラッと変える<料理のしやすい若手役者>だった彼が、「硫黄島からの手紙」に続いて、このような注目作の主役を演じることに拍手!です(初主演作は2003年の「アンテナ」)
「それボク」の金子撤平役(調書にサインするところでフルネームが分かります)は、これといった個性のないフツーの青年なんだけど、加瀬亮の魅力がすごく出てます。フツーに流されるまま生きてきたような感じが、たぶん多くの人が自分と置き換えることができる<白紙の紙>のようで、つまりそれが役者として<監督が料理しやすい素材>を役柄にシフトしたようじゃないですか!
同世代で同時代にメジャーで活躍している妻夫木聡と近いんだけどちょっと違う方向性をもった存在なんですよね。口ベタな分一重の目で多くの感情を語る加瀬君と、表情で感情を物語る妻夫木君のナイーブさとは違います。だから、声を荒らげて言葉を口にする加瀬君(=撤平)の内面に沸き立つ怒りの大きさが、とてつもなく痛いんです。

役者としてのうまさを思い知ったのは、主任弁護士を演じた役所広司。当番弁護士・浜田を演じた田口哲司も正義感と現実の辛さに挟まれた感じがすごくよかった。新人弁護士・須藤を演じた瀬戸朝香は、当初痴漢へのHATEな気持ちを徹平に向けていたのが、次第に公平性に欠ける裁判に心が変化している様を、等身大の女性として自然に演じてました。
そして、イイ人の代表のような小日向文世がこの作品で見せる裁判官は、この作品の「要」です。

a0028078_436126.jpg

「それでもボクはやってない」を観たいよね、という話をしていると、僕もですが、多くの男は、満員電車の中で痴漢に間違われないように気を遣っていることが分かります。
つまりね、手の置き場を考えるということ。次の2つのパターンが多いみたいです。1つは、両手で荷物を自分の前で抱えるか鞄の取手を握りしめている。2つめは、ドアか座席側にカラダを向けて両手を胸より上に挙げ、つり革かそのバー、壁に手を置き、押される人の波に負けないよう力入れて耐えているというもの。
俺、自分の前か後ろに背の低い女の子がいる場合、人に押されてその子が圧迫されないように、両手をつっぱったり両足踏ん張って、カラダの密着を緩めるように耐えること多いです。超疲れます。それだけ気を遣っても、やっぱり間が悪いと俺も痴漢に間違われて撤平と同じような目に遭うんでしょうね。
この映画を一緒に観に行った彼女は、もしそうなったらさっさと「自分がやりました」と言って罰金払って帰ってきなさい、と言ってました。でも迂闊に調書にサインしちゃダメだよ、って。いくら普段、仕事で文章を直しているからといって、自分の手で文章を修正したりしちゃダメ、必ず相手に訂正させなきゃ、サインはしなくても自分でやったことを認めることになるから気をつけて、とも。

a0028078_4392089.jpg

ここで俺が痴漢に遭った時のことを書いておきます。最後に遭ったのは20代後半の頃。これといった特徴のない工事現場なんかにいそうなおじさんでした。その時俺は、最後尾車両の壁に背中をつけて、分厚いハードカバーのS・キング「IT」を両手で持って読んでいたんですよ。あそこを揉まれて、チャックを開けてまさぐられて、それでも満員だったから両手を降ろすことができずにおじさんの手を静止することができませんでした。カラダをひねったり向きを変えようとしたけど、かえってそれが不審な動きとなってまわりの乗客に俺がされていることを悟らせる結果になってしまいました。あきらかに俺がされていることを目で分かっているはずなのに、見て見ぬふりするんですね。
「それボク」では、痴漢された15 歳の少女が勇気を振り絞って、ドアが開いて降りてく撤平の腕を掴み、「痴漢したでしょ」と訴えます。痴漢をした手は、たしかに撤平の手だったのか、満員電車の中ずっとその手を目で追うことができたのか?が裁判で重要な部分となってきます。
引き抜かれた手が服の影などに入って、視界から一瞬見失うと、その手が誰のものか分かるのか?
俺のその時の経験だと、痴漢してるおっさんは僕の正面にいたので顔は分かりました。でもね。電車が駅についてドアが開いたとたん、どどっと人の波とともにそのおっさんが出て行った時、ほっとした俺は一瞬おっさんの姿を見失っちゃったんです。正面からのおっさんの顔と着ているものの上半身は認識してるけど、早足で歩き去る後ろ姿とカーキ色のブルゾンが何人が目に入って、どれがあいつ?というのがすぐに目で追えなかった…。急いで降りて手を捕まえるなんて、たぶん無理でした。
その当時の俺は、されたことの内容よりも、そういうことの対象として見られた自分のスキにふがいなさを感じましたね。女性とはこのあたりの感じ方は違うかもですけど。
(もっと若い時に遭った痴漢おじさんは、下車した後ホームで俺のことを待ち伏せしてたことがあった。恐かったなー)

痴漢はむかつく犯罪です。でも、やってもいない痴漢行為によって、何ヶ月も何年も棒に振るような冤罪は、あってはならないと思います。
映画の冒頭に出るテロップ、イギリスの法格言である「十人の真犯人を逃すとも 一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」は、この日本では当然のことでないことを教えてくれた、機会があればもう何度か観ておきたいと思う「それでもボクはやってない」でした。

2007年1月27日 MOVIX亀有・スクリーン1で鑑賞

ーーーーーーーーー

「それでもボクはやってない」公式サイト
ココログ:周防正行の「いつもデジカメ撮ってます」
→撮影現場の様子などを監督自身がリポートする『それボク』デジカメメイキング!

痴漢冤罪 - Wikipedia
痴漢えん罪ネットワーク
→こんなにあるのか、無実を認めてくれない裁判が…。「要注意裁判官一覧」があります。

加瀬亮 公式サイト
→加瀬君が所属するのは浅野忠信の事務所「ANORE」。そこに所属する女優・菊地凛子さんが、映画「バベル」でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされて超話題ですね!
[PR]

  by tzucca | 2007-01-28 04:37 | → MOVIE

映画「鉄コン筋クリート」イカしてた!

a0028078_0353677.jpg

すっげーーーー!
2007年はじめに劇場で観た映画が、こんなすっごいフィルムだったなんて、おみくじの「大吉」以上のおっきな幸運!

原作を読まずに観たのですが、作り手の原作に対する愛情、リスペクトがぎしぎしと伝わってきましたよ。しかもその愛情が独りよがりなものでなく、原作を知らなくてもきちんと映画としてドーンと楽しめるものに作り上げたところが拍手です。原作への強い思い入れがありながら、ただなぞるだけでなく、作家性レベルで原作者の松本大洋氏と同じビジョンを共有するほどの入り込みようだったんでしょうねぇ。
演出もアニメーションも緻密な背景美術も、それぞれ多くの才能あるクリエイターによって紡ぎ上げられたにもかかわらず、まるで1人の作家が作り上げたアニメーション作品のように、細部にいたるまで独自の世界観を作り上げてましたからね。
傑作「マインド・ゲーム」からつながるSTUDIO4℃の「画」のカッコよさにも口がぽかんと開いてしまいました。

というわけで映画を観たあと原作を読み始めて、背景画の画集も注文してしまいました。

思った以上に原作に沿った映画だったんだ!とまずびっくり。
コミックスの毒ある絵柄が、アニメ化されるにあたってクリーンナップされてしまった感じはあるけど(輪郭線は黒の方がよかったかも)、今の日本のアニメにしてはクセある絵で、アニメだからできる表現で見事に「鉄コン筋クリート」を再構築してました。
時間軸がある映画だから、ストーリーの流れが分かりやすくなっていたし、シロの存在がずっと大きくなっていて、シロとクロは一緒にいなきゃいけないという絶対性も分かりやすくなってたと思う。
映画がとんでもなくすごいのは、「宝町」に街の体臭を与える緻密な描き込みと奥行き感。大阪っぽいというか、東京でいうなら浅草や上野のアメ横や下北沢の空気。時間の止まった昭和の歓楽街。クロは「俺の町」と口にするけど、町ってそこに巣くってる人間によってカタチになっていくから、ああいうHeavy Mixな外観と同じ人間がぎょうさんいる場所なんだろうな。人物と町が一体になって画面を埋め尽くし、画面に映っていない部分まで、その世界がどこまでもつづいている感じがしっかりあった。でも、そんな時間が止まった町でも、変わっていくことによる歪みをセンチメンタルに感じちゃうのは、俺も昭和の人間だよと思った。

ーーーーーーーーー

ちょっと足りない子、のシロのセリフは、ポエムだよね。クロとシロ、それぞれネジが足りなくて、互いにないものを持っていて、それでも凹凸が一緒になったからって、正方形にはならない。シロの声って芝居が過ぎるとイタイものになるところを、蒼井優はうまかったなぁ。絵と一体化してたもんなぁ。
ただ、映画だけ観ると、シロは女の子だと思っちゃうんだよね。原作ではっきり男の子として描かれているのを見ると、その方がずっといい、と思えた。
クロの二宮君もいい感じだったよ。ヘーゼンと暴力を発動させるガキは、今の時代描き方がむずかしい部分だけど、二宮君の声によって恐れや絶望が絵にプラスされてたから。リミッターのないガキは恐いよ、ほんと。でもそれがガキらしいところ。下手にオトナ社会のメタファーに当てはめていないところが、このストーリーのいいところだよね。
印象的なセリフの多いヤクザの"ネズミ"こと鈴木の声もよかったなぁ、手垢のついた深みといーかげんさがかなりよかった!銃を構えた手下の木村との掛け合いは、迂闊にも涙が流れてきちゃいましたよ。

そう、「鉄コン筋クリート」は、泣けるんだ。
いろんなところで。なんかね、心が痛くなるんだ。人って、自分のためよりも、誰かのための方が意地で頑張れるってことが分かっていなかった若造だった頃にこの作品と出会っていたとしても、こういう受け止め方はできなかったかもしれない。「おかえり」「あんしん、あんしん」なんて短い言葉に、ぐぐっと心のツボを押されちゃうことはなかったかもしれない。
いや、たんに画の力が十分に魅力的だから、好きな映画にはなっていただろうけど。

ーーーーーーーーー

ところで、この作品を観てあらためて分かったことがあるんだ。僕、町の中を垂直に飛んだり跳ねたりするアクションに、すっごくワクワクするってこと。映画の中のクロとシロは、アニメだから気持ちいいくらいに高いところに立って、宙を飛んでるんだ!
でさ、マドンナの最新シングルである「Jump」のPVは、日本の町中を走って飛んでを生身の人間がやってるんだ!コンサートでも鉄骨を使ってジャンプしまくってたけど。おれ、バック転はできなくてもいいけど、ああいう動きができるようになりたい!と思う今日この頃なのでした。


「鉄コン筋クリート」
2007年1月4日 ユナイテッドシネマ豊洲 スクリーン12で鑑賞

ーーーーーーーーー

「鉄コン筋クリート」公式サイト
*トップに貼っている画は、この公式サイトで「宝町」の住人登録をするとゲットできる壁紙の1枚です。

■「鉄コン筋クリート」が、MoMA(ニューヨーク近代美術館)発行『ARTFORUM』で、学芸員が選出した「2006年で最もアーティスティックな作品」に!
[PR]

  by tzucca | 2007-01-15 00:45 | → MOVIE

WOWOWで観た「NANA」

ついつい長文の映画レビューがつづいてしまいました。
ここでちょっと息抜き。
今頃なんですけど、WOWOWで「NANA」を観ました。

大ベストセラーの原作を読んでないんだけど、
映画としてけっこうよくできていましたね。
丁寧にエピソードを積み重ねて、ありがちなバンドもの、恋愛青春映画
からきちんと1歩抜け出した世界観ができていました。
今の自分の立ち位置が見えない不安が、ちゃんと描かれていて、
軸がNANAとハチの友情からぶれなかったのがよかった。

中島美嘉の存在感が光ってたなぁ。
男前な女、なんだけどつきあいにくい偏屈さがない。
強がる女をイタイ子にならず、すごく自然に中島美嘉が演じていた。
(たぶん、役者が演技したんじゃ、あの雰囲気は出ないだろうな)
コミックの実写化としては、奇跡的なリアルさなんじゃないかな。

俺ね、バンドものってけっこう好きなんですよ。
バンドができあがっていく過程、曲ができていく過程とか
すごくワクワクしちゃうんだよね。
NANAが歌詞を適当に乗せて歌う「GLAMOROUS SKY」のシーン
がすっごくカッコよかった!
そして完成した「GLAMOROUS SKY」を歌うライブ会場が、
横浜ベイホールなんだよね。
昔ここのステージで踊ったから、妙に愛着あるんだ、あの空間に。

@後日談
原作の「NANA」を映画化されたあたりまで読んでみましたよ。
映画でいいなと思った部分のほとんどは、原作通りだったんだね。
[PR]

  by tzucca | 2006-08-21 01:38 | → MOVIE

映画「ユナイテッド93」

a0028078_053133.jpg歴史は、9.11を境にして、それ以前、以降と分けて語られるようになった。
環境映像のように固定カメラで映し出された黒煙をあげるワールド・トレード・センター。そこに2機目の飛行機がつっこむ瞬間を、僕はテレビでリアルタイムに観ていた。何が起こったのか?そして、繰り返されるすでに知ってる情報が更新されるのを、固唾をのんで見つめていた。
そして崩壊をはじめたワールド・トレード・センターを観て、誰もが思ったはず。「まるでハリウッド映画のようだ」と。

すでに何本かのドキュメンタリーがテレビ放映や公開されていますが、ハリウッドが真正面から9.11を描いた作品が続けて公開されます。このポール・グリーングラス監督の「ユナイテッド93」、そしてオリバー・ストーン監督の「ワールド・トレード・センター」。
9.11以降アメリカ政府がとった行動から、アメリカの愛国心に訴える英雄を讃える映画では?と思ってしまうのは、僕だけではないはず。

僕が「ユナイテッド93」を短い夏期休暇中に観たい1本に選んだ理由。
仕事中に時々聞いているJ-waveの番組でこの作品が紹介された時「とにかく描写がフラットであることに驚いた」というコメントに心が動かされたから。そして未見ではあるんだけど、北アイルランドの公民権デモを描いて高い評価を受けた「ブラディ・サンデー」(U2にもこの事件を題材にした曲があるよね)を作ったポール・グリーングラス監督作品であることを知ったから。

この作品は、9.11でハイジャックされた4機のうち、目標に達することなく墜落したユナイテッド93便で、なにが起こったのかを再現するドキュメント・ドラマです。生存者が誰もいないので、93便の中で起こったことを再現しようにも真実は分かりません。乗客が機内電話や携帯で家族に語った内容、管制センターで追っていた情報から、制作者は<真実を描くことの意義>なくして鎮魂の礎になり得ないという意図で、ハリウッド映画的なドラマティックな演出を徹底的に排除して現場を再現しています。

ユナイテッド93便は、乗客がテロリストの企てを阻止した勇気が讃えられて、その時のかけ声「レッツ・ロール」がプロパガンダとして利用されてきました。ハリウッド映画であるなら、高揚した音楽とともに決意の表情をした男にカメラがトラックアップして、張りのある声で「レッツ・ロール」が出るだろうことは想像できるのですが、この作品でこのセリフは、バタバタとした状況の中でかき消されてしまうので、よほど注意深く音を聞いていないと分かりません。僕も、観る前にその情報があったから気がついたので、ここに書いておきますよ。
本当に、描写がフラットなんです。

フラットであることは、アルカイダのハイジャック犯の描き方に対しても、乗客や管制センターで働く人と同じ目線でカメラを向けていることにも言えます。9.11以降のアメリカでは、イスラム教徒というだけで、イコール、テロリストと決めつける人が多いとモーガン・スーパーロックの番組で言ってました。犯人に対するここまで冷静な目を保てるというだけでも、この作品が政治や商業的な思惑から離れて制作されたことが分かります。
管制センターに登場する人たちの多くは、当人がかつての自分を演じているのも、彼ら1人1人にとってこの映画に出ることの意義を感じてのことなのでしょう(エンドクレジットで、as himself となっているのが当人出演の人たちです)

慌ただしい管制センターで、レーダーとにらめっこしながら誘導指示を与えるスタッフが、アメリカン11便のコックピットからの音声を聞いて「ん?もしかして?」とハイジャックの可能性を言葉にします。
やがてアメリカン11便がレーダーから消えます。ニューヨーク市の上空で。「どうしたんだ?」
演習のために空のスケジュールを管制センターとやりとりしていた軍のコントロールセンターで、「CNNを観てみろ!」という声で前面パネルに黒煙をあげるワールド・トレード・センターの映像が映し出されます。なにが起こったのか、誰も把握できてないんです。目の前の現実と、全体の出来事がリンクしてこないのです。
彼らもCNNを観ていた、というのがショッキングではありました。もっと詳細な情報が行き交っていたと思っていたのに、事態の把握ができずに情報だけが混乱して、TVを観ていた僕らとたいして変わらない状況だったんだ…と。

そして悲しいのは、1機目がワールド・トレード・センターに突っ込んだ時には、ユナイテッド93便はまだ離陸してなかったこと。出張や旅行などそれぞれの目的で乗り込む、いつもと変わらないフライト風景。異様に緊張した気配で乗り込む数人の犯人たちを除いては。
ここからは、まるで自分が93便に乗っているかのような錯覚に陥る、生々しい映像が続きます。
まさか!という思いと何が起こってるか分からない不安。やがて、機内電話で家族と会話していた乗客から、外で何が起こっているかが機内に伝わってきます。ただのハイジャックじゃない。自分たちは生きて帰れない。みな、電話で家族にメッセージを伝えます。愛していたと。みな口々に、愛していたと。カメラは客観的な目線でなく、そこに居合わせている人の目線で映像を拾っていきます。
僕らは、彼らが何をしようとも、待ち受けている運命を、結末を知っています。
未来を見てしまう能力があるとは、こういうことなのか、と思ってしまいました。それで、運命を変えられるのならいいのに、そうはならない。辛くなってきます。せめて、最後まで彼らがしたことを見届けたいというキモチになってきます。

軍の上層部がユナイテッド93便のハイジャックを知ったのは、墜落してから4分後のこと。
(他、いくつかの報告が文字情報でエンドロール前に現れます。これらの真偽については、コメントがいくつか寄せられているので、そちらもどうぞ)

これはもう、映画の感想じゃないですね。でもこの作品は、映画の完成度やら脚本の見事さや役者のすばらしさを語るシロモノではありません。遺族や関係者の証言などから再現された真実を受け止めてあげる、それが観客の役割なのです。
こういうカタチでこの題材を1本の映画に仕上げた、ポール・グリーングラスという映画作家の力量には目をみはるものがありました。
「ブラディ・サンデー」も観なくては!と思ってきます。

エンドロールが流れる間、ラストシーンの絶望感からくる心臓のドキドキがおさまるのをじっと待っていました。クレジットが流れ終わって、劇場の照明がつくまで間、スクリーンには「ユニバーサル・ジャパンに遊びにきてね!」のユニバーサル映画のお約束画面が映っていました。この違和感たるや!


「ユナイテッド93」 2006.8.14 TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ Screen4

「ユナイテッド93」公式サイト
[PR]

  by tzucca | 2006-08-21 00:43 | → MOVIE

「ゲド戦記」を観た感想

巨匠・宮崎駿監督を父に持つ宮崎吾朗監督の第一回作品。
宮崎駿監督作品のような極上な映画体験には及ばず、
表現の固さと引きこもった心によって、青くて甘くないバナナのような作品でした。


そりゃね、初監督作品ですから、表現の"固さ"は当然あるだろうし、いきなり極上の映画体験ができちゃったら、実はお父さんが監督した?って思われちゃうだろうし。
ジブリの将来を担う若き才能の誕生を楽しみにはしていたんだけど、しがらみが大きすぎたんだろうなー。美しい画面から、外に向かうパッションやエモーショナルな部分が伝わってこないんだよねぇ。それは、主人公アレンの性格そのままに、引き籠もりの心理状態みたいな演出だったからなんだけど。もし、強いオーラを発散してきたこれまでの宮崎アニメタッチでなかったなら、こんなギャップは感じなかったかもしれない。"宮崎駿"からもっと離れた作り方であれば、自分の殻に閉じこもったリアルさを欠いた心が、1つ1つリアルを肌で感じて取り戻していくデリケートさを表現できたかもしれない。
原作を読んでいない僕だけど、映画としてここはもっと良くなるはずなんじゃないか?と思いながら画面を観てしまうところが多かったんだ。映画自体が引き籠もってるんです、とにかく。

とはいっても、ブランド力のあるジブリ作品。画のクオリティは、さすがです。舞台となる街、自然、動物の描写は、愛おしくなるほどよく描けてた。NHKの深夜によくオンエアしている、世界の歴史ある街や土地をハイビジョンで淡々と紹介している番組を観ているようでした。すなおに「ステキだなぁ」と。
イマドキのアニメにあるような3DCG的構図ではなく、実写的な構図とカット割を意識しているところに好感が持てました。

キャラクターといえば、ハイタカ、クモ、ウサギの3人がいい感じ。
ハイタカは、父親の象徴的存在として、菅原文太の声とあいまって存在感がありましたねー。宮崎駿作品には、こういう父親的存在っていなかったんだよね。これは父を見てきた息子だからこそ描けた部分だと思う。父親的、という言い方をしたのは、それがユングが言うところのシンボルとしての父親に近いなぁと思ったから。実際この作品では、アレンの「影」が登場したり、ユング的な匂いが散りばめられていたし。
そして、生に固執するあまり悪の存在と化してしまう魔法使いクモは、素直にこういうキャラが好きなのと、ラストの崩壊する姿がよかった。ムンクの絵のようなタッチになっちゃったりしてさ。「ハウル」の荒地の魔女のように、終盤で姿形をただの老女に変貌させちゃうのが、ジブリの得意技に加わったみたい。
ウサギは、旧ルパンを思わせるアニメーター大塚康生氏のタッチで、アニメ的に動かしやすいキャラクターでしたね。バランス的にこのキャラにここまで生き生きした役回りが必要だったか?とは思いましたが。

オトナはともなく、主人公となる少年少女のアレンとテルーは弱かったなぁ。
画はキレイなだけじゃ生きてこないんだって、よーく分かりました。宮崎駿氏の作品では、感情や表情をキャラに与える部分で、駿氏が八面六臂に力量を発揮していたんだろうことが、分かってしまった感じです。

いつも沈みこんでるアレンは、ストーリーを前に進める役目を果たせていませんでした。
冒頭で父親の王を殺さねばならなかった理由が、突発的な衝動からだったという罪の薄さは、「死が訪れるからこそ限られた生を精一杯生きる」というメッセージへ映画全体が導いていく足かせになってるんだ。大仰なメッセージの台詞が、すごく薄く感じるの。
父から魔法の剣を奪って逃げたのも、そういう行動をとった理由が希薄。持っていた剣は父を刺すのに使っちゃったので、かわりの護身用武器が必要というとっさの判断からってことなのかなぁ。後半の展開に必要だったから、という構成の必然性のためじゃないよね?
アレンの分離された「影」の存在は、この作品にいくつか登場する"子供が観てわかりにくい部分"の1つ。原作では別のカタチで登場するものをここに持ってきたようですが、ユングに興味を持つような若い映画作家なら、一度はやってみたいモチーフなのは分かるんです。そこをもっと深く描いていたなら、アレンというキャラがもっと生きてきたように感じるのです。「影」に怯えてそこから逃れるホラー的描写だけでなく、なぜ「影」が別に存在しているのかをセリフでなくビジュアルで分からせて欲しかった。

対して、<名を奪って人を支配をする>という「千と千尋の神隠し」でも登場したマインドコントロール部分は、バランスよく描けていたと思う。なぜ?と思うよりも、古来よりそういうものなのだと理解しちゃえばいいんだよね。

映画ではクモを倒すことで物語の結末をつけているけど、冒頭に描かれる「世界の均衡が崩れている」ことの解決には至っていません。それはクモ1人のせいではなく、もっと大きな規模での話。ハイタカが旅している目的はまだ何も手がかりがない。大きな流れの中のほんの一部分であるこの作品に、サブタイトルなしの「ゲド戦記」というタイトルはどうなのだろう?と感じずにはいられませんでした。
原作を読んでいる方、どうなの?


「ゲド戦記」 2006.8.14 TOHO CINEMAS六本木ヒルズ Screen2

スタジオジブリ「ゲド戦記」公式サイト
スタジオジブリ:ゲド戦記・制作日誌
スタジオジブリ:ゲド戦記・監督日誌
[PR]

  by tzucca | 2006-08-20 01:12 | → MOVIE

予想に反してよく出来てた!映画版「ダ・ヴィンチ・コード」(ネタバレなし)

a0028078_1173087.jpg知的好奇心とサスペンスに満ちた原作の情報量を、2時間30分の中でどう映像化できるのだろう?
どれほどムリがあるか、を確認するかのようなキモチで、5月20日全世界同時公開された映画版「ダ・ヴィンチ・コード」を観てみたら…。これが、予想に反して原作を手際よく映像化していて、面白かった!
ただし、原作を読んでいない人が「モナ・リザの秘密を解き明かす映画」だと勘違いして観ると、そうでないことが分かる頃には重要な情報を見逃してるかもなので、映画を観る前にパンフレットを買って、「西洋史的キーワードを読み解く」のページだけでも読んでおきましょう。これは殺人事件を追うサスペンスではなく、キリスト教がこれまで隠してきたものを追っていく物語だから。八百の神様がいる日本では、一神教を信仰する世界の人が、この作品の内容にどれだけショックを受けるかなかなか分かり兼ねるんだけどね。

映画化にあたって一番心配だったのは、ストーリーの根幹となる追いつ追われつ&裏切りの連続となるのサスペンス部分と、作品のテーマとなるシオン修道会が守り続けてきたキリスト教の根底を揺るがす<秘密>に迫る謎解きと歴史の説明部分を、どう映画的に配分するか?ってこと。
サスペンス部分に重点を置くと、ハリウッド的アドベンチャー・ムービーになってしまうし、テーマの説明部分に重点を置くと、ナショナル・ジオグラフィックチャンネルの歴史番組のようになってしまう可能性があるもんね。
心配をよそに「けっこう面白い」と感じたのは、そのストーリー部分とテーマ部分をどちらも犠牲にすることなく手際よくまとめていたから。
そう、一言でいうなら<手際がいい>。すごく細かいカット割りで視覚的な情報を積み重ねていくのと、アナグラムを解いていく思考イメージを<可視化>してみせるなど、映像的表現を最大限に使って、情報密度の高い展開をちゃんと娯楽作品として仕上げてました! 現在時制でない部分やキャラクターの内面描写を、荒れた画質のフラッシュバック処理にすることで、現在時制から観客の意識が離れていかないようにしたのが、お見事。最後までテンポの良さとテンションをキープしてたもん。

ただし原作で一番ワクワクしたダ・ヴィンチの絵画に秘められたトリック、とくに「最後の晩餐」のイエスの左隣にいるのは女性という件は、TV特番のような引っ張りもなくサラッと展開してしまうので、文字からの情報と目にうつる情報とのインパクトの差を感じましたねー。つまりそれって「そういうものだと思って見てしまうと疑うべき部分に意識が向かない」という原作から得た教訓をテストされてるようなものです。ここに登場する人たちは皆頭脳が明晰で、進学クラスの授業スピードで物事を理解していっちゃうから、僕らはたとえ原作を読んでいたとしても、スクリーンをしっかり見なくてはいけません!ラングトン教授の専攻である象徴学のように、説明を加えず象徴として見せる部分や、なにげなく反復される言葉やセリフで、説明不足に感じる部分を補ったり、映画的なパズルにもなってますよ。


教会から内容や設定の変更を迫られたというニュースもあり、原作で展開した一大宗教告発部分が、どれくらい映画に反映できているかという点も、核になる部分は原作そのままでした!ただし原作では「事実」というページから始まるのに対して、映画ではエンドクレジットに「これはフィクション」とことわりを入れています。そうすることで教会からの圧力を突っぱねて、ストーリーを守ったソニー・ピクチャーズは偉かった!(実際、創作部分がほとんどですからね)
いくら大ベストセラーであっても、映画の方が小説を読んだ人よりはるかに多くの人に影響を与えちゃいますから、あくまで娯楽作品という体裁をとったことは正解ですね。真っ当な歴史探究ものにしてしまったら、マグダラのマリアの存在を大きくクローズアップさせることも、聖杯伝説の新解釈をオープンにすることも、困難だったろうから。娯楽作品であっても、抗議行動が世界各地で盛り上がってるくらいだし。抗議が加熱すればするほど、そこに真実が隠されている気がして観たくなっちゃう反作用が起きるのにねぇ…。

関連団体からの意見で変更されたものとして、色素欠乏症のコマンダー修道僧:シラスの目の色が、赤目でなく青目になっていました。ビジュアル的に特異なシラスは、映画の中で存在感がすごく際だってましたよ。

ラングトン教授のトム・ハンクスはじめ、キャスティングはけっこうぴったりでした!
ソフィー・ヌヴーを演じたオドレイ・トトゥは、はじめ影が薄く感じるんだけど、だんだんと独特なオーラを放ってくるあたり、「アメリ」のただならぬ存在感はこの人自体の魅力でもあるのだと再認識。
リー・ティービングを演じるのは、「ロード・オブ・ザ・リング」でガンダルフを演じたイアン・マッケラン。僕、このじいさんの顔の表情が大好きなんです。富豪の宗教史学者じーさんが、こんなにも魅力的なキャラクターになったのは、イアンのおかげ。



a0028078_1182061.jpgこの作品は、パリのルーブル美術館をはじめとした実在する場所で事件や謎解きが行われるので、ネットでその場所の写真を検索しながら小説を読んだものでした。くそー、ルーブルに行きてぇぇ!とものすごく思いました!
だからこの映画の一番の見どころは、舞台となった場所でのロケともいえます。原作ファンは、細かな違いを比較なんてせずに、「ダ・ヴィンチ・コード・ツアー」に出かけたつもりで、実在するその場所の映像を楽しみましょう!

全世界同時公開の直前、ワールドプレミアとなったカンヌ映画祭オープニング上映前のプレス試写では、評価がかなり低かったというニュースが大々的に流れましたよね。それってカトリック教会から送り込まれた刺客による妨害作戦だったんじゃないかなと思いましたよ(笑)カトリック教徒にしてみれば、自分が信じているものを「真実じゃない」と告発されて、面白い気はしないもんね。
プレス試写から一転してカンヌのオープニング上映では5分以上のスタンディングオベーションだったらしいよね。映画としてかなり力の入った作り方をしているので、映画が好きな人ならその仕事に拍手したい気もわかります。

(2006年5月21日 TOHOシネマズ六本木ヒルズ スクリーン7)

「ダ・ヴィンチ・コード」鳴りやまない拍手(5/19)[スポーツ報知]
映画版「ダ・ヴィンチ・コード」プレミア前に抗議広がる[CNN.co.jp]

原作を読んだ時の僕のレビュー(2004-7-4)

ーーーーーーーーー

■原作を読んだ人もまだの人も、予習としてナショナル・ジオグラフィックチャンネルでオンエアされた、次の2本がすごく参考になりますよ。もし録画してる友だちを見つけてぜひチェックを!
「禁断の聖書〜キリスト教の歴史を紐解く:第1部テンプル騎士団」
「ダ・ヴィンチ・コード 真実と虚構の境界線」

また、フツーの日本人をやっているとわかりにくいキリスト教についての基礎知識として、カトリック的にこれが正しい解釈とされているメル・ギブソン監督作品「パッション」を観ておくのも参考になると思います。

映画版「ダ・ヴィンチ・コード」オフィシャルサイト:ちょいと重いです。このサイト。
「ダ・ヴィンチ・コード」公式ファンサイト

すでに原作or映画をご覧になった方へ:
X51.ORG:ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」に隠された人物像を発見か
[PR]

  by tzucca | 2006-05-22 01:01 | → MOVIE

GWのまとめ日記

はあぁぁ、GW終わっちゃった。今年は、カンペキにお仕事から離れて、アーリー・リタイアしたかのような日々を過ごすことができたよ。明日からきっぱりスイッチを切り替えられるかなぁ。いや、切り替えないとね。

新しいテレビと大掃除以外では、クラブに行ったり、友だちと会ったり、買い物したり、髪切りに行ったり、映画は2本だけ観て、最終日の今日は週1回通っているダンススクール「ZEAL STUDIO」の発表会を観にいきました。

クラブに行くというと、ナンパ目的?という人もいますが、僕がそんなことするはずないでしょ(笑)SUGUYAくんのイベントだと、ショータイムの撮影したり、ふだん会えない人たちといっぺんに会って話せるのが楽しいけど、それ以外でクラブに行くとなるとHIPHOP系でなくトランス系がかかるやつ。HIPHOPだと、振りとかカラダの使い方をついつい気にしちゃうけど、トランス系だとぜーんぜんそんなこと気にせず、音に包まれてカラダを勝手に動かしてるだけ。まさにトランスしちゃってる。友だちが一緒でもお構いないしで、自分一人でキモチよくなってるわけ。他人のことは知らない、この場合(←超自分勝手)

ZEALの発表会「Fever!」
でも、今日ZEALの発表会「Fever!」を観たら、「そんなことじゃいけない!もっと志を高く持って踊ろう!」って気分になっちゃった。セットといいダンスのレベルといい、発表会といえどもすでにエンターテイメント!一緒にSUGUYAクラスに出てるGENKI君が、出番は多いしめちゃイカしてたよ。昔一緒のクラスだったMICHIが踊ってる姿も観られて、ますます頑張ろう!って思っちゃった。
それにしても、SHUNさんがカッコええのう。ついついSHUNさんを目で追ってしまう。
女の子たちもビッチなお衣装が多くて、よろしいよろしい(^^)

ーーーーーーーーー

ちなみに2本観た映画というのは、「プロデューサーズ」と「グッドナイト&グッドラック」。
方向性がまったく逆の2本を、同じ日に観るというのが面白かったねぇ。

「プロデューサーズ」
「プロデューサーズ」は、くっだらないことを最高の芸で見せてくれるミュージカル・コメディ。
ミュージカル映画といっても、最近のリアルなドラマと音楽を融合させたようなものではなく、往年のMGMミュージカル映画のような作り方が嬉しかったねぇ。
僕は小学校高学年の時に、ラジオで毎週、映画評論家・淀川長治氏の60分番組を聴いていたおかげで、いろんな映画の見方の一環として、MGMミュージカル映画の楽しさを教育していただきました(感謝)だから、この映画は二重丸。
だけど、ミュージカル=最高のエンターテイメントという認識を身につけていない人が観ると、ちょっとキツイかもです。

ブロードウェイのプロデューサー:ビアリストックと会計士レオは、高額の制作費を集めたショーが初日で打ち切られた場合、実制作費以外は全部フトコロに入るというプランを実行に移します。最低の脚本・演出家・役者を集めて、初日打ち切り確実のショーを作ったはずが…。
ここに登場する演出家とその助手らが、思い切りオネェなゲイ。そもそもゲイって言葉は<陽気で楽しく>って意味だから、どんなシリアスな内容の脚本でも陽気で楽しくハッピーエンドにしちゃえ〜!と歌うのが大笑い。

映画のキャストは、ブロードウェイでチケットが買えないことで有名だったオリジナル初演版のキャスト。そこに「キル・ビル」のユマ・サーマンが、スウェーデンなまりのビッチな女優志願の美人秘書役で加わって、役者は揃った!という感じ。マシュー・ブロデリックがこんなにダンスがうまいとは思わなんだ!ユマ・サーマンとのダンスシーンは、まさにフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース風!サラリとやってのけるところがスゴイ!


きらきら・ぴかぴかでお下劣の寸止め大会「プロデューサーズ」に対して、「グッドナイト&グッドラック」はモノクロ映像の思い切り硬派で渋い映画。

「グッドナイト&グッドラック」
1950年代前半、共産主義者やそのシンパを意味する「赤」を社会から排除させようとする「赤狩り」が激しさを増し、マスコミも自分が標的となるのを恐れて沈黙せざるを得なかった時代。
「赤狩り」を先導するマッカーシー上院議員に真っ向から立ち向かった、実在する伝説のニュースキャスター:エド・マローと、その番組スタッフを描く、すっごいクールな作品。「愛国法」によって言論の自由に圧力のかかるブッシュ政権下の今、ハリウッドでこんな社会派の映画を作ったジョージ・クルーニーに拍手です!

世の中全体がある方向に流れていく中、それは間違っている!と声をあげることは、真実を報道することへの信念を持っていたとしても、ものすごい勇気を必要とした行為です。
冒頭とエンドに流れるマローの講演は、今のテレビメディアの送る側・観る側の良識を問う、耳の痛い話です。
モノクロ映像で緊張感のある展開に、挟み込まれるジャズ。登場する男たちは、ひっきりなしにタバコを吸いまくっている。そう、映画は1950年代の話ですが、そこに描かれる内容は、タバコ以外はまさに今の問題。

日本でも「赤狩り」がありました。歴史の教科書にも載ってるけど、そこまで進まなかったかな?僕は大学の映画史の時間に習いました。その時に職を奪われた人(注)が、まだ大勢生きているんですよ。そんな昔の話じゃない。(注)公式発表では1万2千人。実質4万人以上という資料もある。
この作品の制作に、日本の東北新社がクレジットされてるのに、この会社の志のようなものを感じました。あと字幕スーパーの文字がね、フォントのレーザー焼き付けでなく、昔ながらの字幕文字をフィルムに直接打ち付けるパチ打ちなんですよ。当時を知っている映画人のお仕事なのかもしれない、と勝手に思い込んで感慨深くなりました。

をっと、映画の話になるとまた長くなっちゃいそうだ。
これはGWの日記だったっけ(^^;

ーーーーーーーーー

ハイビジョン、美しいです(涙)
最後にもう1ついい?
SONYのブラビアが届いて、地上デジタル放送で「世界遺産」を観たら、そのあまりの美しさにゆいと感動しちゃった。まるでPhotoshopの画像がそのまま動いているようだ!ハイビジョン番組の美しさを思い知りましたよ。というかデジタル放送を観ちゃうと、アナログ放送はもう観れないね。まるでJPEG-30%圧縮画像のような荒れ方してるんだもん。

ということで、0時もまわったらから、スイッチを切り替えて夜更かしせずに寝ませんと!
では、職場で!(休み中に考えておくと言った宿題、やってないや!やばい!)
[PR]

  by tzucca | 2006-05-08 01:12 | → MOVIE

「ダ・ヴィンチ・コード」と「ユダの福音書」

a0028078_2555680.jpg駅や電車内に溢れる「ダ・ヴィンチ・コード」のモナリザのアップ。まもなく公開される映画、原作本、展覧会の広告。
世界同時公開となる映画版は、どんな仕上がりになっているんだろう?
小説の場合、ストーリー以外のキリスト教の秘密にあたる部分など、文章を理解するスピードは読者それぞれに任されているけれど、映画だと2〜3時間内にまとめないといけないんだもんね。
宗教の歴史番組になりそうなその部分を、どんな風に映画としてストーリーに織り交ぜているのだろう?その手腕が見物です。
教会からかなりの圧力がかかっているらしいですし……。屈せずにストーリーを守ってくれ、ソニー・ピクチャーズ!

TVCMもオンエアされ始めたGWの前半、ナショナルジオグラフィック・チャンネルでは、「ダ・ヴィンチ・コード」に関係する歴史番組を集中放送!
映画公開を前にしてのお祭りではあるけど、ここでは原作を読んでいることが大前提なので、オールネタバレ!
僕が原作読んだのは2年前で、すでに細部のディテイルを忘れているから、いい予習になりました。この状態で映画を観れば、原作のここと違う!という比較に終始せず、映画そのものを楽しめそうです(笑)

さて、そのナショナルジオグラフィック・チャンネルの番組群でも、目玉となっているのが、「禁断の聖書・ユダが残した福音書の衝撃!」
イエスを裏切ったユダ。キリスト教ではたとえ犬の名前でさえユダとはつけない忌み嫌われた名前。ナチスによるユダヤ人大虐殺も、ユダの存在に端を発したと言われています。
1970年代、偶然に発見された古文書が、数年前にようやく専門的な研究が可能な人の手に渡り、「新約聖書」の編纂から漏れた原始キリスト教の「ユダの福音書」であることが判明。番組では、その調査・研究の経過を追ったドキュメンタリーと、そこに書かれた内容をドラマで再現しています。
その内容は、ユダがイエスを裏切ったのではなく、イエスは自分の意志で処刑を選択し、自分をローマ兵に引き渡す大役を、一番信頼を置ける聡明な弟子(ユダ)に託したというもの。

「新約聖書」は、マルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの4つの福音書から成立していますが、一番初期に書かれたマルコの福音書ではユダは悪人扱いされていなかったのに、後期に編纂されたヨハネの福音書では、完全な悪人として描かれています。
最後の晩餐からイエスの処刑、復活まで、宗教の核となるクライマックスは、より万人受けする分かりやすさで語る必要があったわけですね。でないと信者が増えない!ハリウッド映画のような、万人に分かる単純化された悪人キャラクターとして、福音書編纂の後期になればなるほど、ユダが際だってきているようなのです。

発見された「ユダの福音書」は、炭素年代測定から本物の古文書と証明されましたが、内容については真実かどうか疑わしい、というのが研究者・宗教家の多数意見。史実がどうだったのかは分からないにしても、僕としては「ユダの福音書」で描かれたユダとイエスの関係の方が、はるかにあり得る話だと思えました。「新約聖書」がハリウッド映画としたら、「ユダの福音書」はミニシアター系映画のような、等身大の人間らしさを感じます。
番組でも、研究家の1人は「ユダの福音書」をまったく否定するのではなく、上級者向けのテキストという位置づけをしていました。


番組を観ていた僕とゆいは、「ユダの福音書」にあるユダとイエスの関係って、光瀬龍/萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」に登場した2人の関係に似てるよね、と揃って口にしたのでした。「百億の昼と千億の夜」は、萩尾さんがマンガ化した初版が1977年で、光瀬先生の小説初版が1972年。古文書が発見された時代と近いという偶然が面白いね。


ーーーーーーーーー

ナショナルジオグラフィック・チャンネル
「禁断の聖書・ユダが残した福音書の衝撃!」スペシャルサイト

→写本の実物をAjax技術で拡大して見ることができますよ。

また、ナショナルジオグラフィックからは、「ユダの福音書を追え 」(著者:ハーバート・クロスニー /関利枝子 )日経ナショナルジオグラフィック社 /日経BP出版センター 1995円(税込)が発売になりました。
[PR]

  by tzucca | 2006-05-03 02:42 | → MOVIE

モーガン・スパーロックの『30デイズ』

a0028078_1482165.jpgミニシアター公開作なのに、なぜか知ってる人がすごく多い「スーパーサイズ・ミー」。
その作品で、30日間1日3食マクドナルドに挑戦して、酷い目にあったドキュメンタリー作家モーガン・スパーロックが、同様のコンセプトでTVシリーズ<モーガン・スパーロックの『30デイズ』>を制作。
アメリカでは2005年6月からFX局でオンエアされて、ドラマ以外の番組としては同局史上最高の視聴率を記録したそうで。全6回なんだけど、すでに第2シーズンの制作も決まったようです。

日本では、先月末からWOWOWでオンエア。
全6回の内容は、
1)最低賃金で30日間
2)アンチエイジングを30日間
3)イスラム修行を30日間
4)ゲイと一緒に30日間
5)自給自足で30日間
6)酒浸りで30日間

第1話の「最低賃金で30日間」だけ、モーガン・スパーロック自身のチャレンジ。「スーパーサイズ・ミー」がアカデミー・ドキュメンタリー部門受賞を逃したところから始まるのが笑える。
日本でも最低賃金での生活は相当厳しいと聞きますが、アメリカもかなり悲惨なんだよね。「スーパーサイズ〜」同様、カラダを壊しながらも、体験することで初めて実感する問題提議を、MTVのドキュメンタリー番組のようなタッチで見せてくれます。

シリーズ中で特に面白かったのは、第3話「イスラム修行を30日間」と第4話「ゲイと一緒に30日間」。WOWOWでは、2話分まとめてのオンエアだったので、この2本立ては濃かった!

ーーーーーーーーー

第3話「イスラム修行を30日間」
アメリカでは9.11以降、イスラム教徒=テロリスト集団と決めつけている人がほとんどのようです。
イスラム教徒は全世界で10数億人いるんですよ。アメリカの人口は3億人弱。すでに数で負けてます。
番組では、敬虔なクリスチャンの白人男性が、アメリカ国内でイスラム教徒が多く住んでいるミシガン州ディアボーンで、30日間ホームステイします。

驚いちゃったのは、その白人男さんって、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、元は同じ神から生まれているっていうのを知らなかったんですよ!なぜエルサレムが3つの宗教の聖地なのか、疑問に思わなかったのでしょうか。
番組のルールでは、郷に入ったら郷に従えであるにもかかわらず、その白人男さんはホームステイ先の家族とは親しくなっても、イスラムのお祈りにはなかなか参加しません。合同集会に参加しても、1人突っ立てるだけ。自分の信仰を否定したくないから、何をやっているのか何を唱えているのか理解できないから。それが理由。
中盤になって、お祈り作法と唱えている言葉の英語対訳付き解説シートを手に入れてやっとほっとしたんだけど、それでもまだやろうとしないんだもんなぁ。

う〜む。一神教というのは、そういうものなのか。八百の神がいて、いろんな宗教行事をリミックスしてイベント化しちゃう一般的な日本人とはえらい違いだ。
たぶん日本人なら、番組の趣旨を理解したうえで合同集会の場に居合わせた場合、理解していようがいまいが、見よう見まねで儀式に参加しちゃうと思うのね。
そういう国民性だから「ウルルン滞在記」が成立するんだろうなあ。

自分を変えることが恐怖みたいなんです、その白人男さん。そんな偏屈男を招き入れたホームステイ先も、正直うざったかっただろうけど、親切でバランス感覚のあるできたご夫婦なので番組が保っています。
30日も近づいてくると、さすがにその白人男さんも、イスラム教徒=テロリストなんかでなく、一般的なキリスト教徒より遙かに厳しい規律を守って生きている平和的な人たちであることを理解していきます。

イスラム教徒さんの日常生活って、僕も知らないことばかりなので、とても興味深い内容でした。でもね、逆差別になっちゃうけど、クリスチャンの白人アメリカ男って、みんなこんな頭悪い人ばかりじゃないよね?とも思っちゃう内容でした。


ーーーーーーーーー

第4話「ゲイと一緒に30日間」
クリスチャンで保守的、同性愛を完全否定している24歳のイケメン白人青年(またかよ)ライアン君が、サンフランシスコにある住人のほとんどが同性愛者というカストロという街で30日間生活。
この回でも、保守的クリスチャンのライアン君とルームシェアをするゲイ男性エドが、バランス感覚のあるすごくできた人間なんですよ。教養もセンスもあって、一流のビジネスマンで。このシリーズは、ホスト役の人選がすばらしい。

田舎育ちのライアン君は、都会の同性愛者ばっかりの環境の中で、いきなり自分がマイノリティの側になってしまったことに居心地の悪さを感じます。
エドは、ライアン君をゲイの社交場みたいなジムや、レストラン、バーに連れ回すんだけど、あまりにも視野の狭い田舎者なことに、ちょいとうんざり。それでも逆ギレせずに、フレンドリーに接するエドは偉いよ、ほんと。

ライアン君が同性愛を受け入れられないのは、聖書で認めていないから。ということで、ゲイタウンにある教会の女性牧師の元を何度か訪れるんです。
聖書にある「女と寝るように男と寝るのは憎むべきことだ」(レビ記18章22節)という一節。自由の国アメリカでは人はみな平等のはずという2つの価値観。
アメリカ大統領選の焦点にもなった同性婚問題も、これが問題の焦点。
牧師は言います。「聖書で同性愛を認めてあれば、あなたは認めるの?」「聖書には"殺すなかれ"と書いてある。でも軍では銃を?(ライアン君は軍に入っていた)"殺すなかれ"に関しては抜け道があるようだけど、"同性愛は罪"に関しては抜け道はないのかしら。」
聖書の解釈では最後まで納得のいかないライアン君ですが、エドに対しては拒否反応はないばかりか、ベストフレンドになっていきます。
終盤、娘からゲイであると告白された親の話を聞きに行きます。
「お前はなぜ自分がゲイだと分かる?」「お父さんはなぜ自分が異性愛者だと分かったの?」
理論でなく娘を愛する親の純粋なキモチに、今まで頑なだったものが見事に溶けちゃったライアン君。

ホームステイの間働いていた、思い切りオネェな店長のいるワインとチーズの店で得た知識を生かして、ラストはお世話になった人たちを呼んでのワイン&チーズ・パーティ。ライアン君、この30日間で劇的に変わりました。

田舎の実家に帰って、家族と再会して感じたモノローグ。

「家族の反応を見て、以前の僕を思い出した。自分が変わったのを自覚した。自分の視野が、いかに狭く偏ったものかーーまったく気づいてなかった。知らずに判断を下す前に、まず自分の目で見ることだ。」

ぱちぱちぱち。そのとーりです。
途中までは、またまた、クリスチャンの白人アメリカ男って頭悪いんじゃないの?一神教の弊害ってのもねぇって思っていたんだけど(知らずに判断下している俺)
この回はできすぎた感があるほど、1人の人間が体験によって成長していく様子を番組にしていました。

ーーーーーーーーー

WOWOWでのオンエアでは、ラストにモーガン・スパーロック氏による各エピソードについてのコメントがあります。第3話がシリーズ化する前のパイロットだったことと、イスラム教について公平な描き方をした番組だったことに感謝する反響が大きかったんだって。また、第4話はスパーロック氏が一番気に入っているものらしい。やはり、ライアン君の劇的な成長がよかったんだね。

でね。「ブロークバック・マウンテン」を観る前に、この第4話を観ておくといいかもよ、と思ってBLOGで紹介しました。
面白いシリーズだから、WOWOWのリピート放送か、DVDもリリースされているので、おすすめです!あ、そうそう。もし「スーパーサイズ・ミー」が未見だったら、まずそれを観てからね。

WOWOW 『スーパーサイズ・ミー』スペシャル モーガン・スパーロックの30デイズ特集ページ
[PR]

  by tzucca | 2006-04-23 03:41 | → MOVIE

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE