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「ブロークバック・マウンテン」

「ブロークバック・マウンテン」_a0028078_222669.jpg映画を観てから10日あまり。染み入る余韻と押し寄せてくる感情、いろいろ考えさせられちゃって、すぐにはレビューを書けなかったよ。
(たんに忙しかったってのもあるけど)

1963年の夏。アメリカ西部、ワイミング州ブロークバック・マウンテン。羊の放牧を監視する仕事を任された2人の青年。
美しい大自然と画面を埋め尽くす羊の群れ。厳しい山の生活が、2人に強い友情を芽生えさせ、やがてそれは肉体関係へと。2人で過ごしたブロークバック・マウンテンの時間が、その後20年におよぶ2人の関係と、現実の生活から逃避する拠り所となっていく…。

今年のアカデミー賞で監督賞、脚色賞、オリジナル音楽賞の3部門受賞。作品賞を逃したことが、受賞した作品よりも大々的に報じられる結果に。
ゴールデングローブ賞主要4部門、ヴェネツィア国際映画祭グランプリ<金獅子賞>受賞ほか、アカデミー賞以外の権威ある映画賞をみごとに総ナメにした、2006年を代表する映画です。

男同士の純愛というテーマながら、決してスキャンダラスな描き方ではなく、人が人を求めるキモチと葛藤、変えることができたかもしれない過去、変えることができなかった現実を、静かに繊細に描き出していきます。アン・リー監督の、ココロの描き方が絶妙なんです。そして雄大な自然が哀しいまでに美しいのです。
すばらしい映画でした。その一言に尽きます。

でも、娯楽映画ではないし、世界は自分を中心に回ってると勘違いしてる人には、さっぱり分からない映画かもしれません(笑)

男同士の友情と恋愛の境界線って、たしかに存在はしているけれども、決してどこまでも続く高い塀ではないと思うのね。たぶん、女性が思っているよりも、その境界線ははるかにあいまいなんだと思います。
あと、家庭や仕事に疲れて「僕の人生はこんなだったのか?」と目の前の現実が色あせてしまうような時、まだ夢や希望に満ちていたある時期や場所を「聖地」のように心に秘めることって、男なら誰にでもあることだと思うんですよね。
そんなキモチに思い当たる人だったら、人生で一度は観ておくべきかも。内容が分からなくても、極上の映画というものを味わっておくべきです。

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さて。以下はネタバレもあるので、ご注意を。

2人の青年、ジャック(ジェイク・ギレンホール)はゲイで、イニス(ヒース・レジャー)の方はノンケに近いバイセクシャルだったと僕は感じました。
2人しか存在しない、お互いの存在を強く意識するしかない、ブロークバック・マウンテンで過ごした日々。そんな環境のなか、片方に受け入れる準備さえあれば、人肌の恋しさから一気に性衝動が起きたとしても不思議じゃないよなぁ。唐突に思える一線を踏み越える瞬間も、2人しかいない世界で、一瞬の躊躇はあっても同性として遠慮はいらないだろ?って了解が瞬時に交わされて、衝動を抑えきれなくなっていく様子がリアルに感じちゃった。
でもね。いくらジャックがゲイで、行為に慣れていたにしても、そんな急に受け入れちゃって痛くないの?と余計なことを考えちゃったけども(^^;

翌朝、ちょいと気まずい雰囲気になる2人。ありがちです。「昨夜のことは1回きりだ」そう切り出すイニスだけど、夜のテントで裸のジャックを前にすると、自然に抱き合うんだよね。それが、ほんと、余計なセリフで説明しなくても、すごく自然なの。
一線を越える前、ジャックの背後で、仕事を終えてテントに戻ってきたイニスが全裸になって着替えるという1カットがあるんです。何の意識もしていなかったら、普通に振り向いて会話しててもいいのに、ジャックは前を見つめて決して振り向かないんだよね。なんて繊細な描写なんだろうと思いました。ほかに映像面、色彩設定でもすごく丁寧な作りをしているんだけど、長くなりすぎるからやめとこう(笑)

イニスには、ゲイに対するトラウマがあるのね。それは、幼い頃父親に連れられて、リンチで殺されたゲイの死体を目にしたこと。さらにその行為の首謀者が父親だったというショック。
今でさえ保守的なアメリカ西部だから、1963年のゲイに対する差別は相当なものだったのでしょう。
「聖書に書いてあるから」という理由で同性愛を認めないキリスト教徒が、人を傷つけてはいけないという教えに背きながらも、正しいことをしていると思いこんでゲイ・バッシングするという矛盾。今でさえ、そうなんですね、ブッシュを支持している地域では。

山を降りてからの2人。イニスは結婚し、貧しい家庭で双子を育てていきます。ジャックはうだつの上がらないロデオの選手から農機具販売で成功している父親を持つ西部美人と結婚。
生活のために働き、子供の面倒をみて、自分の人生が自分のものでなくなっていくのを受け入れていくしかない日々。

4年後、イニスとジャックは再会します。
ジャックの到着を家の中でそわそわして待つイニス。車が止まる音を聞いて玄関を飛び出すと、再会の喜びに抱き合って、激しくキスを交わします。この再会でイニスの中にスイッチが入ってしまったようです。封印していたはずのスイッチ。厳しい現実から一時逃れることができる魔法のスイッチ。
たまたまその光景を目撃してしまったイニスの妻。田舎娘で平凡な家庭しか世界のない妻に、その光景は理解のできないこと=裏切り行為にしか写らなかった。当然かもしれないけれど、悲しいことです。

それから年に数回、時には数年おきに、2人はブロークバック・マウンテンで数日間を過ごし、関係を育てていきます。逢瀬であると同時に、1963年のあの夏を追い求めているかのように。

生活をほっぽり出して、嬉々として男2人でレジャーに出かける。
女房たちは、どう感じる?
すべてがオーライではないけれど、なんだかんだ、人生をうまくこなしているジャックに対して、イニスの生活はどんどん荒んでいきます。せめてイニスの家庭が、癒しの場であり心から守っていきたいと思えるものであったなら、イニスの生き方も変わっていたかもしれないのに。

ジャックが切り出した、家庭を捨てて、2人で牧場を経営しようという夢。イニスはそのアイデアには乗れません。家庭があるからという現実的な理由よりも、男2人での生活=リンチで殺される対象というトラウマから逃れられないから。
だからイニスが離婚して、家庭という束縛から解放されても、2人の関係は変わらないまま。
20年の時が経過して、ついに想いのたけをぶつけたジャック。変えられたかもしれない過去、何も変わらなかった現実。ジャックの感情はイニスの抑え込んでいた心の石をも動かしてしまった。お前と出会わなかったら…自分の人生は…と泣き崩れてしまう。
後悔ではなかったのだと思う。イニスの人生にとって、どういう関係であれジャックという存在は必要だったのだと思う。ただ、背負うものが重すぎてイニスにはどうすることもできなかった。

ラストのとても穏やかなイニスの表情が哀しいんです。こういうカタチでなければ、イニスが重荷を降ろして愛しあえなかったことの哀しみ。
いつも2人の心にあったブロークバック・マウンテンの風景。
ジャックの妻が「実在しない理想郷のことを言っているのだと思っていた」というブロークバック・マウンテン。
その風景の絵ハガキとともにしまわれたジャックのダンガリシャツ。時を止めて、本当に愛し合った1人だけを愛し続けるだけでいい人生を、ハッピーエンドと呼んでいいのだろうか…。
口づけを交わした幸福の絶頂で「THE END」になるようなおとぎ話ではなく、人にはその後の人生もきっちりあるわけで。「THE END」の先につづくラブストーリーは、熟成されながらもほろ苦かった。
あらためて、自分自身と愛する人を、どうやったら愛し続けていけるだろうかと考えさせられたのでした。

僕は、どちらかといえばイニスに近い男だし。。


(2006年4月9日・日比谷シャンテ シネ1)

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「ブロークバック・マウンテン」公式サイト

アップル・QuickTimeムービー「ブロークバック・マウンテン」予告編

ブロークバック・マウンテン@映画生活

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