映画「エレファント」

カンヌ映画祭シーズンですから、ずっと観たかった2003年カンヌ国際映画祭で史上初パルム・ドール(最高賞)/監督賞のW受賞を果たした、ガス・ヴァン・サント監督「エレファント」のDVDを借りてきて観ました。

1999年に起きたコロンバイン高校の銃乱射事件をモチーフにした作品だけど、マイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」とはまったく逆のアプローチで<事件>までの時間を映像化した、静かでリアルで衝撃的な作品。

ーーたとえば先日のJR西日本・脱線事故のような大きな事件が起きたあと、どうなっているんだ?という視聴者の興味に応えるため、テレビは次々と映像と情報と見解を流し続けていました。
原因は?誰が悪い?起きてしまったことを解明する使命感にあふれたワイドショーや報道番組。
そんな番組を観ていてどこかひっかかってくるのは、被害者への配慮を置き去りにして、誰かを悪者にして、原因を並べ立て、興味本位な人々の納得を得るための<解答>をこぞって見つけ出そうとしていることです。それをおかしいとは思ってはいても、観る人の要望がそういうカタチにさせているのも事実。電車の過密ダイヤも、利用者がその便利さを求めていたからかもだし。

「エレファント」という映画が特異なのは、起きてしまった事件ではなく、まさにこれから起きる事件前の日常を、ただ淡々と提示しているところです。作り手側の<結論>や<解釈>に誘導するような描き方をしていないんです。
映画がはじまって50分を過ぎるまで、スポットを当てた数人の高校生のいつもと変わらないとりたててドラマチックでもない日常を、ひたすらカメラが追っていくだけの展開が続きます。
役者が演技しているとは思えない、ドキュメンタリーのような自然さに驚きです(セリフは役者の即興によるもの)。
なにかをしているシーンよりも、構内を移動して歩く人物の後ろ姿を追うシーンがやたら多いんですよ。ある地点からある地点に移動するまでかかる実質時間を観る側が共有していくうち、自分も事件が起こるその現場に居合わせているような感覚に陥ってきます。

映画がはじまってしばらくは、映画がどう展開していくつもりなのか全く読めないので、不安になってきました。やがて、ある場所でたまたまスポットを当てている生徒同士がかかわったり、すれ違ったりすることで、時間経過と空間が同時並行で認識できます。そして2人の男子生徒が行動を起こします。「中に入るな。地獄になるぞ。」

ーー街の人混みって僕はあまり好きではありません。スクランブル交差点で四方から歩いてくる人々が、真ん中でぶつからないよう互いを避けながら、対角線上に歩き去っていく風景。自分と一瞬かかわっていく、大量の見知らぬ人たち。でも、彼ら彼女たち1人1人には、それぞれ生活があり人生がある。それを感じるのって、自分のキャパを超えたコワイ考えです。
この映画には、そんなコワイ考えに近い感覚がありました。

さらにすごい孤独感を感じました。大勢の人に囲まれていても、親しく会話をする人がいても、個々の行動は1人の個人のもの。個を包みこむ皮膚という壁が、圧倒的に他人と距離を保っています。この映画の中で、他人との距離感がもっとも近いのは、銃乱射を決行した2人の男子生徒なのですが、それでもやっぱりヒトは所詮1人であることが分かって、心に穴があいたような気分になります。

「エレファント」は、ただひたすら画面を観続けることで、それぞれが観たことについて考えなくてはならない作品です。<暴力そのものがテーマ>という答えを用意してある「バトル・ロワイアル」よりもコワイ作り方です。

「エレファント」公式サイト
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  by tzucca | 2005-05-22 01:41 | → MOVIE

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